投票に行く人
昨日は参院選の投票日でした。
投票所に行って思ったこと。
10代~20代の人、投票してるところ見たことない。
30代~50代の人、たまに見る。
60代以上の人ばかり見る。
これが当たり前になってる感が、ますます強くなってきました。
この現象、この国の教育力を物語っているような気がしてなりません。
日本の学力テストの無回答率が高い、というのはよく取り上げられます。
間違った答えを出すくらいなら、考えないほうが楽。
面倒くさい。
そんな考え方をつくってしまったのか、とも感じています。
あと、気になるのは、小学校6年生で教える近代史、政治の授業の力の入れ方。
ここにかける時間って、とても少ないのではないかと思います。
6年生を最近、担任をしていないけれども、たしか今もそんなに変わっていないのでは?
せめてわが子と担任させてもらった子には、「なんだかよく分からないものに対して、知識を動員して、自分なりの答えを出す」というスキルを身につけさせたい。
投票する年配の方々を見て、思うのでした。
多様性がないと、生き抜くことはできない
自分と違う人を蔑む気持ちって、どこからでてきたんでしょう。
自分の常識と違う言動がある人、自分と違う外見をしている人。
たくさんの人がいる中で、そのような人を排除し、「私が生き抜く」ために心地よい集団を形成しようとすること。
考えると怖いのですが、それは人間の本能なのかもしれないな、と思う時があります。
昨日の子どもたちの会話の中に、ある特定の子を下に見たような発言がありました。
すぐにおかしいよ、と伝え、指導をしたつもりです。
しかし本当にそれ、効果があったのでしょうか。
表面的には、そんな発言はなくなるでしょう。
でも、心の中は?
ある人を蔑む気持ちに、杭を打つことはできていないんじゃないかな。
先日、特別支援教育の研修を受けました。
「みんなちがって、みんないい」を本気で実感させること。
そのために、概念転換を起こす場を造り出すこと。
そんなことを話していた講師の先生の言葉を思い出します。
多様性の面白さではものたりない。
むしろ多様性がないと私は生き抜くことはできないのだ、という感覚。体験。
私自身にもその感覚と体験が必要だと思います。
さあ、どうやって造りだそうかな。
子どもたちにどうやって体験してもらおうかな。